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 お元気のことと思います。私のお節介を許して下さるならば、お読み下さい。
 ご参考になればと・・・                  1993-11-27
                              ひろ

ARAHAT ATHERSATA(Sanskrit)=Der wertvolle,der die Zeit beschautの教えより(P139の訳文3行目~)
 :特に想念のブーメラン効果の真実を理解したかったものですから。自分で翻訳し直したものです。

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気散的で病的で決心がつかない凡人、不幸で不自由な人、そして決心のつかない思索家などから、力強く集中する意識的な自然思索家になるべきです。自然思索家には、自然そのものが思索の道を教えてくれるからです。

私達は自然思索家を生命思索家とか霊思索家とも呼ぶことができます。実際、生命と霊は同じ道を教えるからです。また、想念は巨大な力を持っていますから、私達は力思考と呼びます。力思考は本質的に『生命に忠実で創造的な思考』と翻訳されます。

 健全で、目的に向かって努力する強い想念には、どんな物質も対抗できません。良い想念、良い思考方法とは創造との統一の絶対意識で満たされているものです。正しくて力を意識した積極的(POSITIVE)な思考は全ての困難を解消します。

しかし、第一に人間自身の中にある何かを自分の思考の中で現実のものにされなければなりません。そうすれば、それは感覚世界の中に現れるでしょう。つまり、障害、不幸や似たような出来事は、常に、それが受け入れられ、考え出されたその程度に現れると言うのが事実です。

もし、人がそれを小さくて些細なものと考えれば、それは小さくて些細なものになり、容易に克服可能なのです。しかしもしも、それらが大きく大変で打ち勝ち難いものとか征服し難いものとして考えられたとしたら、それは不可能になったのも、同然になり、しかも遠のくことになります。

力思考の思考力と利用は教育を必要としています。その教育は最初、非常に大変でしばしば困難なように見えます。しかし、本当に最初だけで、見せかけの不可能さなのです。と言うのは、この新しい教えが完全に慣れないもの、知られていないもの、異様なものと思われるからです。

しかしながら、実際は全てが非常に易しいのです。それは、「小石の一押し」を必要とするだけで、直ぐに思考は働きだし機能しだすのです。そして、今や既に全ては非常な速さで前に進むのです。この思考の全機械的な機能(INSTRUMENTALIUM)は、ほとんど突発的に新しい思考形態に自らを転換するのです。

脳と連合する器官の全ては、電気的変圧器のように、そのエネルギーの強さを変化させ、またエネルギーを変換するのです。全ての神経節、神経系等は、自動的にその新しい気分に適合し、新しく正しく、そして積極的な力思考を促すのです。

積極的な力思考が習慣化するのには、ほんのわずかな時間しか必要ではありません。確かに何事でも最初は困難なものですが、前に成すべき努力なしには、一つの報酬も与えられません。しかし、練習が名人を作ります。そして、長く申し分のなく練習されれば、必然的に、力思考が習慣化する時がやってきます。 

思考は一つの純粋な霊的活動を表現しています。この活動は、形はありませんが、生命と力を持っています。しばしば、一度考えだされた想念は、考えだした当人よりも非常に長く生き続けます。個々の思考方法、思考の種類、想念は善か悪かのどちらか一つの完全に定まった作用を持っています。

これは、性格、運命、環境におけると同様に肉体にも作用します。ここの想念は無意識の中に定着し、そこから生じてくる行為とその成果等の形に具体化します。そして、プシケ(PSYCHE)、身体、環境に影響を及ぼします。従って、自分の想念を常に憎悪と復讐に集中するものは、最終的には必然的に殺人者となります。

もし想念を、自分が不憫だとか助言してくれる者がいないだとか、突き放された存在だとか、忘れ去られた存在だとか、軽蔑される存在だとか、役に立たない存在だとか、余計な存在だと言う感情に集中するならば、最終的には自殺をします。

もし、進歩、成功、幸運、愛等に想念を集中させるならば、それに従った成功が精密な時計仕掛けの正確さで現れてきます。すべてがそうであって、考えられたことは、存在や非存在に対して決定的になるのです。だから、想念や思考は人を向上させ、考えもしなかった高みに昇らせるか、或いは堕落させて自滅の深みに落とします。



 まだまだそれだけではありません。思考は巨大な力のエネルギを作り出します。各々の想念は最強度のエネルギ波を放射します。このことは、想念それ自体が計りしれなく高い周波数を持つ巨大なエネルギ波であることを意味しています。想念はその起源の構造から飛び出して、その想念の性質に従った効果と条件を及ぼすために、妨げられもせず、そして防御もされずに宇宙の彼方まで疾駆していきます。

想念によっては、光か或いは暗黒の目には見えない巨大な力を放射し、他の似たような想念エネルギを更に取り込み強力になり、同様に宇宙の彼方とエーテルの中をすばやく通り過ぎていくのです。

想念がその最も外の到達点に達すると戻りの路を捜しますが、その際に、その想念のエネルギ形態はそれでも変化し、しかも反対になります。このことは、磁石と同じ吸引を通してそうなります。陽(POSITIVE)は自動的に陰(NEGATIVE)を引付け、陰は陽を引き付けます。

そして、最後に出来上がるエネルギの形は巨大な力となって終に戻ってきて、その想念の発信者に破壊をもたらすか或いは生命をもたらすのです。ここに注目すべき現象がありますが、これは人間にとって非常に独特なもので、特に注意すべきものです。

既に述べましたが、ここでは即ち、磁性の自然法則について取り扱います。 一つの磁石は二つの異種の極 : 正極(POSITIVE)と負極(NEGATIVE)を持つものとして扱います。また、その機能が理解されねばなりません。

つまり、磁石でどのようなことが成されるのかを理解されねばなりません。正極(プラス、positive)は負のもののみを引き付けることができ、一方、負極(マイナス、NEGATIVE)は、もし全てのものが POSITIVE(プラス)でないならば、全てのものを反発します。

前に述べたように、心配や不満等の悪い想念が発達し、ブーメランのような作用で投げ返えされ,必然的に再び想念の発信者に破壊的な重圧で打ち当たります。それが良い想念であれば、同様に良い作用をもたらします。そこで、これを次のように正しく理解し、しかも従うべきです。

放射された想念がNEGATIVEかPOSITIVEであろうと自然なことです。それが送りだされた通りに正確に再び投げ返され、ただ全くとほうもなく強化し、そのエネルギ形態において変化しています。ここで注意すべきことは、力もまた変えられることです。いずれにせよ、明らかにそこには霊の学びの必然性が前提に置かれています。

ここでブーメラン的作用と言う言い方をする場合、ブーメランが投げ出されるとその戻りの飛行時に再び捕らえられることと理解することです。この場合のこのブーメランは想念の例えです。投げ出す力はまったく単純に想念の力であり、さればその形はNEGATIVEか或いはPOSITIVEの形であり、つまり想念発信の形です。ブーメランは投げた人に戻ってきます。

つまり、投げた人は、自分が投げ放った(砂泥を取り除いた)、そのブーメラン(想念)を再び掴み取ります。けれども、ブーメランを投げた人(想念発信者)が再び反転したブーメラン(想念)を捕らえるときに命中する力は戻る道で、当を得た力(想念の再受信)に改まって(変化して)います。

そのように、投げた力(想念発信時の力)が戻る力に変化する間、ブーメラン(想念)の物質は同一性を持続するのです。ブーメランの投げ出しは物理的な力であり、確実に目標を追うものであり、どんな苦痛も必要とはしません。

ブーメランの戻り道での再捕獲にはかなりの熟練、捕獲が正しく出来なかったときの捕獲の打撃による見逃せない苦痛に対する勇気と我慢を前提としています。ブーメランの物質が不変性を維持している間に、投げた力が戻る力に変わります。

この自然制約の例えは、その様相において、同じ原理で、人間の霊の力にも働いています。もし、結果としてPOSITIVEな想念が放射されるとその想念は自分の力の形を変え、そして想念発信者にNEGATIVE想念を命中させます。その逆もあります。

NEGATIVE想念の発信は想念発信者にPOSITIVE想念を命中させます。これは矛盾のようにみえますが、決してそうではなく、この全ての経過は完全に論理的であり、正しく、自然なことであり、創造の秩序と法則に従っています。

霊はNEGATIVEと厳密に同じだけのPOSITIVEを必要としています。従って、NEGATIVEと同じにPOSITIVEを保証する道が歩まれなければなりません。

そこで、必然的にNEGATIVE想念の発信者にPOSITIVE想念受信と力受信が結果として起こります。その逆も起こります。

以下省略                   ひろ
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