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2013.08.19
私たちどうしますか
所属 県庁 広報課
Q: 件名
A: 我が県としてのエネルギー問題への取り組み姿勢はあるのでしょうか
Q: 内容
A: 福島第一原発の事故以来、その地元の人たちは恐ろし苦しみに遭っていますが、エネルギー消費地の我が県はこの問題にどういう方針で対処しているのでしょうか。
あちらの問題であるということでしょうか。
つまり、私たちの県民は、そういう態度で居て良いものでしょうか。
仮に、近くの原発が同じ事故を起こしたら、我が県もまず、かなりの被害を覚悟しなければなりません。
とすれば、私たちは、ただ個々人の賛否を言えばいいものでしょうか。
県民としての共通な意見は醸成できないものでしょうか。
エネルギーは安く提供してほしいが、リスクはいらないと、首都圏は逃げてきたのではありませんか?
このまま、福島を見殺しにして、良いのでしょうか。
私の個人的な提案です。
「エネルギー問題の解決の条件」
原発の事故以来、多くの人々が原発の危険性を、真に認識し、脱原発を唱えて、必死に頑張っている。
この気持はよく判りますが、これでは、早期の問題解決にはなりません。
というのは、言って見れば、推進派から観れば、クーデターと同じです。
自分たちの今までの権利と生活基盤が破壊されると想うのですから、戦いになります。
一万年この方、地球にずっと、一日も戦いのない平和な日々が訪れていないのには、これと同じ二極の対立が常時発生していたからです。
真実の言葉から、一部引用すれば、
「愛は理解と感謝なり。愛は好意を寄せ、かつ受けることなり。・・・・」
ということです。
そして、
「平和は愛の達成に伴う調和なり。平和は争いのないことなり。平和は統一と一致なり。平和は憎悪のないことなり。平和は報復のないことなり。平和は権利の平等なり。・・・・・・」
ということです。
ですから、物事を平和的に解決して、良い方向に持って行こうとするのなら、先ずは、今までの電力の利用者である自分たちと現地の人々の両方の立場や気持ををよく理解し、必要な感謝は公に表明しなければならないと想う。
その上で、今度は危険な現物をどう取り除き、しかも、現地の廃炉までの維持をするための組織を作り、しかも、廃炉のために国民の税金を使わずに実行する資金をえるために、その組織には、新しい発電形式による電力を作る仕事をさせる必要があります。
更に、原発の地元の雇用をそれによって創出して、今まで生活を維持できるための支援が必要でしょう。
それをしないで、脱原発と喚くのは、明らかにヒステリーでしかなく、成功しないでしょう。
よその国の状況とは異なる部分もちゃんと認識して、その差もしっかりと公表すべきです。
今まで電力会社の組織では、利権が発生し、それを食い物にする組織や圧力団体が存在したので、それを無くすには、発電、送電、配電を横割りにして、新規参入を認めて自由化し、電力料金を下げる方策が必要でしょう。
しかし、完全自由化すると、予備率はありえず、大停電は仕方なくなると想われるので、重要な施設では自家発電は必須でしょう。
そんなことにならないようにするのに必要なことは、「原発によるベースロード機能」を代替する発電設備が絶対に必要になります。
それに成りうるのは、マグマ発電です。
脱原発とセットで、この開発を至急に推進するように叫ぶべきです。
太陽光発電や風力や地熱(温泉)に頼るのも良いですが、それらによるいろんな別な問題が出てくると考えられるので、あまり、大げさな施設の開発はしないほうが良いと想われます。
これは、先のことでしょうが。
とにかく、ただ無闇に、危険だから脱原発を叫ぶ前に、利権集団の気持や現地の当事者たちの気持も考えた上で、平和的に、みんなが一両損するけど、成り立つような仕組みを考えようと歩み寄るのが大切だと想います。
賛成派の超楽観主義と反対派の超悲観主義では、絶対に歩みよれないでしょうし、戦いしかありません。
そして、最後は、勝者と敗者ができてしまいます。
少しずつ痛みを伴っても、みんなが勝者になれるようにする平和的な解決策が必要なのです。
いかがでしょうか?
つまり、ひとりひとりがこういう考え方で、今までのみんなの事情をよくよく理解して、それから先のことを、みんなのために考えること、これしかないと想いませんか。
私たちは悪くなかった。利権集団のみが悪いのであると叫んでも虚しいだけです。叫んだ割りに、先に進まない。
Q: 件名
A: 我が県としてのエネルギー問題への取り組み姿勢はあるのでしょうか
Q: 内容
A: 福島第一原発の事故以来、その地元の人たちは恐ろし苦しみに遭っていますが、エネルギー消費地の我が県はこの問題にどういう方針で対処しているのでしょうか。
あちらの問題であるということでしょうか。
つまり、私たちの県民は、そういう態度で居て良いものでしょうか。
仮に、近くの原発が同じ事故を起こしたら、我が県もまず、かなりの被害を覚悟しなければなりません。
とすれば、私たちは、ただ個々人の賛否を言えばいいものでしょうか。
県民としての共通な意見は醸成できないものでしょうか。
エネルギーは安く提供してほしいが、リスクはいらないと、首都圏は逃げてきたのではありませんか?
このまま、福島を見殺しにして、良いのでしょうか。
私の個人的な提案です。
「エネルギー問題の解決の条件」
原発の事故以来、多くの人々が原発の危険性を、真に認識し、脱原発を唱えて、必死に頑張っている。
この気持はよく判りますが、これでは、早期の問題解決にはなりません。
というのは、言って見れば、推進派から観れば、クーデターと同じです。
自分たちの今までの権利と生活基盤が破壊されると想うのですから、戦いになります。
一万年この方、地球にずっと、一日も戦いのない平和な日々が訪れていないのには、これと同じ二極の対立が常時発生していたからです。
真実の言葉から、一部引用すれば、
「愛は理解と感謝なり。愛は好意を寄せ、かつ受けることなり。・・・・」
ということです。
そして、
「平和は愛の達成に伴う調和なり。平和は争いのないことなり。平和は統一と一致なり。平和は憎悪のないことなり。平和は報復のないことなり。平和は権利の平等なり。・・・・・・」
ということです。
ですから、物事を平和的に解決して、良い方向に持って行こうとするのなら、先ずは、今までの電力の利用者である自分たちと現地の人々の両方の立場や気持ををよく理解し、必要な感謝は公に表明しなければならないと想う。
その上で、今度は危険な現物をどう取り除き、しかも、現地の廃炉までの維持をするための組織を作り、しかも、廃炉のために国民の税金を使わずに実行する資金をえるために、その組織には、新しい発電形式による電力を作る仕事をさせる必要があります。
更に、原発の地元の雇用をそれによって創出して、今まで生活を維持できるための支援が必要でしょう。
それをしないで、脱原発と喚くのは、明らかにヒステリーでしかなく、成功しないでしょう。
よその国の状況とは異なる部分もちゃんと認識して、その差もしっかりと公表すべきです。
今まで電力会社の組織では、利権が発生し、それを食い物にする組織や圧力団体が存在したので、それを無くすには、発電、送電、配電を横割りにして、新規参入を認めて自由化し、電力料金を下げる方策が必要でしょう。
しかし、完全自由化すると、予備率はありえず、大停電は仕方なくなると想われるので、重要な施設では自家発電は必須でしょう。
そんなことにならないようにするのに必要なことは、「原発によるベースロード機能」を代替する発電設備が絶対に必要になります。
それに成りうるのは、マグマ発電です。
脱原発とセットで、この開発を至急に推進するように叫ぶべきです。
太陽光発電や風力や地熱(温泉)に頼るのも良いですが、それらによるいろんな別な問題が出てくると考えられるので、あまり、大げさな施設の開発はしないほうが良いと想われます。
これは、先のことでしょうが。
とにかく、ただ無闇に、危険だから脱原発を叫ぶ前に、利権集団の気持や現地の当事者たちの気持も考えた上で、平和的に、みんなが一両損するけど、成り立つような仕組みを考えようと歩み寄るのが大切だと想います。
賛成派の超楽観主義と反対派の超悲観主義では、絶対に歩みよれないでしょうし、戦いしかありません。
そして、最後は、勝者と敗者ができてしまいます。
少しずつ痛みを伴っても、みんなが勝者になれるようにする平和的な解決策が必要なのです。
いかがでしょうか?
つまり、ひとりひとりがこういう考え方で、今までのみんなの事情をよくよく理解して、それから先のことを、みんなのために考えること、これしかないと想いませんか。
私たちは悪くなかった。利権集団のみが悪いのであると叫んでも虚しいだけです。叫んだ割りに、先に進まない。
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